年中夢求


都会と
比較して


「何があるか」

「何がないか」











子供たちは

どこで
遊んでいるんだろうか




コンビニは
どこにあるんだろうか




電波届かないけど
不便ではないのだろうか










生活という
視線でみると



「すべてがある」

都会とは
比較にならない











そこには

「なにもない」

という

贅沢な空間が
存在していて







ストレス社会からの

非日常を
感じることができる














「ない」

ということが
すごく大事で







ほんとは


「ない」

ではなく










自然そのものの
空間であって



「ある」


というのは
作られた世界










「何かがない」

っていうのが
不自然になっていて








でも

そこで
生活している人々がいて

時間を過ごしている













「ない」

世界を


「ある」

世界に


合わせないと
いけないのか
どうか







そこに

「観光」


という
可能性が眠っている
















「ない」

という
贅沢な空間だからこそ


本来必要な
スキルが目につく






それが

「連携」











簡単な
例えだと

ご近所付き合い
にみる

醤油の貸し借り
だったり













行政

民間

個人








それぞれ

ヨコのつながりはあれど



タテのつながり

奥のつながり

というものが
存在せず








人間の細胞のように

繋がれば
すごいはずなのに

途絶えてしまっていて






「これから」


の領域に
入れない













最初から


外部との連携

というものを
大事にし


外へ
外へ










外から
見てみると


内部の連携が
機能しておらず




まず

内部連携の機能を
活発にすることからなので

時間がかかる










「10」

という数字を




10+○

10-○

10×○

のように



そのまま使用できれば
スムーズなのだが






「1+1+1+1+1+1+2+2」+○



のように

バラけている















なんでか


というのは












また
そのうち

思い出したら
書くかもしれません